田立屋は、嘉永元年(1848年)以来、
松本の女性の美しさと生活の楽しさを提供させていただいております。
創業時より、紅、白粉、化粧水、頭髪油、
頭髪用品等、国内外化粧品を扱っており、
現在では全国でも最も歴史の古い化粧品専門店でございます。

  • 嘉永元年(1848) 初代大宮徳重 木曽
    田立村元祖(現在の南木曽町田立)より
    新しい時代の期待と大望を抱き商いを
    志し出府して松本博労町西側に居を構え
    田立屋の屋号にて小間物商をはじめる。

    当初より女性に人気のある品を扱うべく
    江戸よりかんざし、帯占め、白粉、紅など
    仕入れ行商を主体に顧客を広げていった。

    安政〜慶応年間を経て二代目大宮徳兵衛 明治4年廃藩置県により大手南門通り
    武家屋敷が庶民に開放されるやいち早く大名町に居を移し店舗を開いた。
    このころよりの商号にて卸業を兼ね販路を広げていった。

    明治17年三代目(初代)大宮勝造土蔵造りの店舗を新築する。この時代化粧品に注目し、
    オリジナル化粧水”京の水”を製造販売し多くの愛用者に広がり販売業績は益々
    伸長した。

    明治27〜28年の日清戦争 明治37〜38年の日露戦争を経験しながらも、女性の
    おしゃれの意識の後押しもあり松本では有数の繁盛店として発展した。

    明治37年 隣接の家屋を新築し店舗を
    拡張。従来の一棟と合わせて二棟となり
    間口約10間(19.8M)(居宅二棟に
    て全部で四棟総二階)
    商品構成もかんざし、帯占め、白粉、紅含
    め婦人小間物、洋品雑貨、貴金属、和洋
    楽器、理髪洋品、袋物、内外化粧品と
    幅広く各国萬小物商として評判であった。

    明治45年 四代目大宮幸一郎 営業を継承するとともに、大宮勝造(二代目)を襲名。

    大正3〜6年 第一次世界大戦 戦争終結とともに、経済不況がおこる。そのような
    時代でありながらも、化粧品業界は東のレート、西のクラブといわれ化粧品メーカーの
    全盛期であった。田立屋はレート化粧品の中南信地区の総代理店となり全国表彰も
    たびたび受ける有力店であった。

    大正10年 座売り式店舗の店頭に初めてウインドウを設けた。
    大正12年 関東大震災により不況の波が大きくなり、不況は昭和の初期まで続いた。
    資生堂がチェーン組織を全国に広めたのもこの時期であり、田立屋はすでに資生堂を
    明治の時代より扱ってはいたが県下で最初の契約店として新たなスタートを踏み切った。

  • 昭和2年 営業方針の大改革を断行。
    従来の卸部門を廃止して小間物、化粧品として小売業に専念すべく今までの座売り式
    から洋式の陳列方式に店内を改装。松本では珍しい陳列式店舗であった。

    昭和6年満州事変勃発。2.26事件。支那事変。第二次世界大戦を経て昭和20年8月
    15日終戦。大宮幸夫足かけ15年の兵役を解除され店の仕事に復帰。しかし敗戦の
    ために極度の品不足であり物資の仕入れに苦労する。

    戦時中は当主兵役にてまた物資も揃わず
    十分な営業はできなかった。母、妹たち
    の女だけの店番であり、少ない商品を毎日
    少しずつ販売したようであるが、午前中
    でクリーム、化粧水が売り切れる様で
    あったと聞く。また経済的にも困窮な時
    代、田舎からどうしてもクリームを譲って
    欲しいと野菜、米を持って買いに来た人
    も何人かいたようだ。
    女性の美に対する憧れはいつの時代も変
    わりないものと感じる。

    昭和22年12月 合名会社田立屋を設立し、本格的営業に取り組む。
    旧来の土蔵造りの店舗のファサードに大看板を掲げまた店内の改装を時代に先駆け
    着手。

    昭和30年店の真ん前にあった松本市民会館が全焼。昭和34年女鳥羽川氾濫。その都
    度大きな被害は免れたものの建物、売り場の改修を余儀なくされた。

    昭和40年11月 本町通り近代化事業が完成、支店を設置。化粧品、アクセサリーの店
    を開店する。

    昭和43年 明治100年松本商工会議所
    創立60周年記念式典にあたり創業以来
    100年以上の事業所として表彰を受ける。

    昭和44年6月 本町店をタダチヤの店名
    にてワコールの婦人下着専門店としてリ
    ニューアル。中信地区初めての下着専門店
    である。

    昭和46年2月伊勢町商店街に支店を開設
    するも、大名町の道路拡幅計画が実施段階
    に入り1年6ヶ月で閉鎖。昭和48年11月
    大名町通り拡幅、6階までの田立屋ビル完
    成。1階、2階の近代的大型専門店(内外化
    粧品、香水、装粧品、化粧雑貨等)として開
    店。化粧品を中心としながらも、当時はしり
    のサンリオ雑貨は市内でも先駆けにて高校
    生、子供たちに人気であった。

  • 昭和50年4月、2階売り場を拡張、本町店タダチヤの婦人下着を2階売り場に移設。
    本町店は新たに株式会社オオミヤを設立、ディッパーダンアイスクリーム専門店(松本初)
    となる。このころの本町商店街は松本一の通行量をほこり、観光シーズン、夏場の忙
    しさは凄まじいものがあった。しかし昭和53年駅前開発、松本駅ビルオープン、井上百
    貨店の移動、カタクラモール開発により中心商店街の通行量は目に見えて減少。アイス
    クリーム専門店は4年ほどで廃止。本町店はその後、売り場を拡張し、メンズ専門店、
    化粧品店と形を変えながらその時代の新しい情報提供の場として模索していった。

    昭和51年大名町本店2階売り場を改装。バックを充実しながら、松本で初のヨーロッパ
    ブランド”クリスチャンデイオール”ファッションコーナー設置。松本でのヨーロッパ
    ブランドの先駆けでもあった。
    昭和52年4月田立屋ビル屋上にコーセー看板設置。

    昭和52年10月松本初のファッションビル”シュトラーセ”1Fに6メーカーを扱う化粧品
    専門店支店を開設。
    昭和54年ベルモールに出店。その他幾多の商業集積の新設により中心市街地の状況
    は大きな変動をもたらした。シュトラーセ店、ベルモール店の撤退も余儀なくされた。
    その間 昭和53年6月21日 時代の商況に即応すべく、将来を鑑み株式会社オオミヤと
    合名会社田立屋を合併して、株式会社田立屋の名称登記を完了する。

    平成7月10月 田立屋6代目社長に大宮康彦就任。本町西地区再開発の進める中、平
    成9年11月 本町店はソニープラザのフランチャイズ店としてオープン。大変な人気店
    として賑わった。しかし西地区開発は期待に反し、街への集客は減少の一途をたどり、
    客数も減少。大名町本店としての大型化粧品専門店の個性、独自性に主眼を置くためや
    むなくソニープラザを3年で撤退に踏み切った。

    化粧品業界は、再販制度廃止後 大型店の台頭、ドラックストア、通信販売業界また他業
    種からの参入等化粧品小売店の制度品販売シェアは10年前と比べ4分の1にまで落ち
    込み化粧品小売り店舗数(平成24年)もかつての3分の1の状況にて毎年減少の一途
    をたどっている。しかし田立屋は日本で最も歴史の古い化粧品専門店として、化粧品を
    通じ化粧文化の向上、真にお客様の化粧品への期待、夢を実現できる店として信用あ
    る商品、十分納得のいく商品知識、技術の向上に努めている。